容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

で、年初めの1冊は「このミス」「本ミス」「文春」で三冠を達成したこの作品。
本格かどうかという問題はさておき(個人的には間違いなく本格なんですけどね)、倒叙ミステリーの傑作なのは確かですね。
倒叙物はどうしても完全犯罪の瑕疵に焦点が定まるので、物語の振り幅が狭くなり、登場人物の行動または思考法が不自然になりがちです。もう少し突っ込むと犯人の計画にないイレギュラーなアクシデントなんかが起こるといかにもな造り物めいたものになりやすいといったところですね。
また、犯人当てというミステリーにとって最上級のカタルシス*1を放棄しているため、動機やトリックに新味をつけ加える強引な展開になりやすい。だいたい動機やトリックでのカタルシスは不自然な事が多い上、それを納得させるためにプロットも複雑になり消化不良に陥ってしまいがちです。
倒叙物はミステリー作家にとっては成功率が低く、リスクの高いプロットだと言っても過言でないと思います。それ故に魅力のあるプロットだともいえるんですが。

以下は内容に触れます。
何と言っても犯人の思考法に説得力を持たせる人物配置の見事さに尽きますね。
まず、犯人(完全犯罪を目論む人間)である石神が不器用な愛に殉じる孤独な天才数学者という卓抜な設定に拍手です。この物語を成立させるためにはこれしかないという人物設定です。たぶんトリックを先に考えついたのでしょうが、そのトリック*2に説得力を持たせる設定をよくぞ思いついたという感じですね。この話を最後まで違和感なく読み進められるのは驚異的だと思います。
そして、探偵役の湯川。この人のおかげでありえない犯人・石神に感情移入が出来るし、重要なミスリーディングが機能して、トリックに煙幕*3がかかるようになっています。特に湯川の葛藤に関しては、物語に深みを与える以上に最後のカタルシスに奉仕されていて、職人東野圭吾の手腕、ここに冴えりという感じさえ受けます*4
小説としても素晴らしいですが、それ以上にミステリーとして素晴らしい。
傑作です。

*1:「意外な犯人」ではなく、犯人へと到る論理の組み立てのことです。

*2:正直、これほど不自然で無茶なトリックはなかなか無いと思う。

*3:ネタバレです。反転してください『行動的ではなく知能的(理系的?)なトリックだと思わせるし、叙述トリックであるところからも眼をそらさせている。

*4:ネタバレです『タイトルにあるχの解答がラストで石神から靖子に代わる。それは数学的なシュミレーションではなく物理学的な実験から導き出される解答だ。石神の信じてきた数学の世界でないところから現れ、そしてそのこと自体が自分を救う(精神的な意味で)という石神にとってはまさに身を二つに分けられる解答だ。ラストの号泣は果てしなく深い。